n a t u r a l s t 志 願
2014年8月25日日々の仕事の中で、ふっとあるとき自然を想う事がある
それは懐かしい子供の頃の情景であったりする
それは、仕事がハードであるほど想う様である
或る日曜日の朝、それもちょうど昨夜「明日のコンペは中止だよ」なぞと言われ
それじゃあ 同輩 今夜は一杯 ネオンの海を明け方まで漂流、doun
ベッドの中でむくんだ顔を上げると、この朝は今までに無い朝のような気がする
小さな公園へ自転車でギッコギッコと出掛ける朝の太陽は
まだ快く体を包み少し吹く風は頭の細胞を冷やしてくれる
そしてベンチに座り、ゆっくりと煙草に火をつけ樹木や池を眺めていると
木立ちのざわめき鳥の声、魚の跳ねる、音何か感じる 心が少し豊かになった気がする
この自然はいいな、と思う
それは、一本の雑草、一輪の花、一羽の鳥、一匹の魚、
そして一片の雲一陣の風、そのすべてが価値を持つと感じる
子供の頃の馴れ親しんだ野や川や森や林の、小動物、昆虫、魚、鳥の声、花が
今視野の中にあるのに名前やその生態・・・意外とわからないな、すこし草木虫魚とつきあってみるか
nuturalstと言う言葉は英語だが、
辞典で引くと「自然主義者、自然愛好家」「自然誌研究家、博物学者」とある
ダーウィンの弟子だったアマチュアの昆虫学者のA・ベイツが
アマゾンに長く住んで書いた「アマゾンのナチュラリスト」あたりから出た言葉らしいが、
こう言った人々はやはり学者というより自然愛好家と呼びたいと思う
自然が好きな人は皆ナチュラリストなんだ
そのために!自然の中に入っていく
都会の中では、公園や社の森をジョギング
や自転車で入る。そしてバードウオッチング、
ムシと遊ぶ樹 草 花を観察する。それはもう
ミクロコスモスだ。その小宇宙は誰の家の近く
にも公平にある。 ちょっとした気持ちで
urban outdoor rife ここから始めよう。
山や森を歩き、泊まり、鳥を探し魚を釣り、
カヌーに乗り野生動物に出会い、スキーを
滑らせ、そうして自然とかかわっていく、
自然を相手にスポーツする。すなわち人は、
そこにそのとき一番興味のもてる方法で自然に
近づいていく、つまりみなそれぞれに
「自分の自然」を持つことだ。
私たちは、騒音とストレス。日常のトラブルや数え上げたらきりが無い
諸問題の環境の中で生きているでも人は、人間は自然無くしては生きていけない
そして私たちはこの自然の中の一員である
それぞれの生活の中で、十分に野外への眼、自然指向の心は育てられる、
これは人々の目が自然へ向かったと言うことではない
内なる自然、それらと共生しながら暮らす。これが願い。我等ナチュラリスト志願。